喪女の結婚

あるいは幽霊を見ないこと

新しいことをしよう

新しいことをしよう、自分の身の回りのことすらできていないのに、そう言う気持ちに襲われることがままある。そうしてたくさんの物事に手をつけては全て中途半端になる。中途半端になるのが怖くて新しいことをしなくなる。するとどんどん気力が衰えてルーチンな日常が重くのしかかって息ができなくなる。バランスよく生きるのって難しいです、先生。

 

新しいことをしよう。そうして新しい世界へ飛び込んだ自分を少し誉めたたえよう。毎日同じような場所を旋回しているようでも、違うよねって確認していこう。あるいは、毎日同じ日常をこなせるってこと自体すでに頑張ってる結果なんだなって思おう。小学生の頃くらいには思わなかったけど、生きるのって一大事業だなと思って、生活を送ることができるってだけで、息を吸って吐いているだけで、なんと言うか、ものすごいことなんだなとこの頃しみじみ感じる。結婚とかなんとかノリでブログタイトルにしてしまったけれども、そもそも生きると言うことすら大困難である。死にたい星人が頭の中をうろうろしていて、気づかないうちに頭を死にたいで埋め尽くしてしまうのだった。死にたい星人に負けないように生きてはいるが、たまにこの無限の戦いに白旗を上げてしまいたくなる。

 

土曜日は医者へ行った。精神科医だ。かれこれ10年弱通っている。カウンセリングでは臨床心理士の話をなぜか私はうんうんってうなづきながら聞いてしまう。言いたいことを言えないままで、言えない自分が情けなくて泣きそうになって帰る。私が大層無口だから仕方がないのかもしれないが、病院に行ったならば話をさせてくれよー、という気持ちにたまになる(それを言葉にしなければ、伝わらないとは分かっているのだが)。しかし今回は結構自分の話をして、自分の話をするとそれはそれで問題点があって、①自分の話をするとなんか泣けてくる②自分の話をしていると申し訳ない気持ちになってくる。本当は今回、自分がADHDなのではないかと思っていて、もしそうなら、検査をして診断してもらった上で、薬とか飲みながら改善していきたいなと思っている、と言う旨を言い出したかった。だが言えなかった。仕事の調子を聞かれて、ミスが多いんです、と返答できたところまでは良かったが、先生は、やり方を工夫して自分なりのメソッドを作ってみては?と至極真っ当なことをおっしゃられたので、ADHDかも・・・・・・とかそのタイミングで口にすることは、病気に逃げていると思われそうで(しかもプロフェッショナルなドクター相手に言うことは相手の技量を信頼していないように思われそうで)憚られた。しかも泣きそうになってきて(泣かなかったので、その点はささやかな勝利である)、透明な鼻水が垂れてきて始終鼻水を拭いながら言えないまま、来月の予約をとった。受付のイケメンさんはいつも変なTシャツを着ている。異性と話す練習として、イケメンさんと一言無駄話をすることを自分に課していたが、今月はできなかった。むしろしたところで、自分の発する声は自分のイメージと全く乖離しているのだったが。ぐへへ、とかぶひっ、とか聞こえそうな勢いでボソボソしゃべっている自分に絶望した。絶望できるくらい自己期待が高いこともまあ何だかなって感じ。

 

そんなこんなで病院を出たが、昨日は新しいことをした。帰り道にゲームセンターへ行ったのだ。お目当はノスタルジアと言うピアノを模したアーケードゲームだ。なんかすごくやりたかった。病院の近くのゲーセンは適度に奥まっていて知人に会う可能性もほぼない。しかしゲーセンに入ること自体が恐ろしかった。こんなおばさん(老けている)が、一人で、若者の社交場ゲーセンへ行くなどとは恐ろしい。しかし足を踏み入れてみると、存外に怖い人はいなかったし、ノスタルジアさんの周囲には誰もいなかったので、安堵してプレイする。クラシックが好きで、ピアノは習っていたけれども全く弾けなかった。超絶飽きっぽいのだ。そのような私が憧れのピアノ曲で遊べるのが楽しかった。しかし、いきなりハードモードで両手プレイでボロボロの点数に見舞われても、練習しようとか、簡単なところから始めようとか、そういうことをしなかった。地道な練習をすっとばしたいたちであった。だから結果が出ないんだ。全部一緒だよ、全部・・・・・・という声が私の心から聞こえたが、ま、ゲームだから、楽しめよなという気分に流されて、めためたな演奏をして、ボロボロなスコアを叩き出した。隣にあったドラムのゲームもして、全てサビまでたどり着かない合間にゲームオーバーになってしまった。そんな感じで、かれこれ一時間ほど遊んだ。ゲームセンターって楽しいんだなあと思った。

 

あともう一つ新しいこと。餃子の皮を作った。パテドカンパーニュを作った。定期的に餃子が食べたくなるので、餃子の皮を作成できるということは餃子衝動に対して速やかに欲求を満たせるスキルを身につけられたということを意味しておりちょっと嬉しい。でも、すごく面倒くさかったのでもう二度としない気がする。

パテも、すごく好きなので手作りできたら嬉しいなと思っていたので、これでワイン衝動に抗えるなと思い満足。しかし、やたら日数がかかる料理なので、料理には罪はないが、自分のズボラさを思うとこれももう二度と作らない気がする。さらに、火がちゃんと通っているのかが恐ろしくて、焼き過ぎてしまう。レバーとかだから余計に。火を通しても、大丈夫かなって思ってしまう。明日は自家製パテサンドを目指して頑張っていきていこう・・・・・・。そんな週末で、ほとんど家を出なかった。本当は、不動産屋とか、婚活パーティとか、美容院の予約とか、発達障がい者支援センターとか、ジムとか、行きたいところやりたいこといっぱいあったからきちんとできなかった自分が情けなくて、でも自分にしては結構頑張ったのかもしれないと書いていて思った。

 

新しいことをしよう月間は続いていて、明日もだ。