喪女の結婚

あるいは幽霊を見ないこと

セクハラ男と生き霊男

持病の頭痛に苦しむ生き霊男のために、寺社で頭痛お守りを買った。

渡したりとかはできなくて(勇気がない、立場が無い)、完全に自己満足で、でも祈りの力を信じているから、少しでも良くなるといいなと思いながら、逆にそのエネルギーが負の方向に働いてしまいやしないか心配だ。生き霊男は清らかで、彼を愛するということは私の心の中にいくぶんか清らかな部分が残っている証拠なのだ。あらゆる恐ろしい物事、人生のつらさ、四苦八苦から彼は無縁であってほしい。世界が平和で、平和な世界を当たり前のように享受していただきたい。それが私の幸せである。そう感じれば感じるほど、惨めな気持ちになる。

セクハラ男は自分の洋服コレクションを見せてきた。知るかよバーカ、と思いながら、嫌いじゃないと感じる自分が嫌いだ。さらっと作った料理がすごくうまそうだった。ああ、これはかなり自分の萌えツボじゃないか。アーティストであり、マッチョで自堕落、繊細にして色好み、ナルシストで知的で気障ったらしい伊達男。頭で警鐘が鳴っている。こういう時は本当によくない。軽蔑しているから全く気を使わなくて本音で話せて居心地が良いのだ。頭の半分以上がシモでできているから、そういう冗談が言えるのも居心地がいいのかもしれない。生き霊男のヴァリエーションかもしれない。彼とは全然違うけど、彼の中に生き霊男を見出すよ。あらゆる物体に生き霊男を見出す。これ以上何も考えなくてすむように、誰か私をさらってくれやしないか。とまで考えて、モジョのくせに何言ってんだよと我に返った。

強いアルコールとアイスクリームという最悪の組み合わせ。ジンとモカアイス、風味の違いが逆に面白い組み合わせで、太るとかそういうことを考えなければすごくよかった。肝臓さんすみません。今日も私は罪を犯して生きています。