死にたい時に聞く(けど効かない)クラシック
死にたい時期がある。自分の意思に反して死にたさが脳細胞に注入されている感じ。不自由な死にたさに屈してはならない。そうは思うが、気持ちが全て虚しさに支配されてどう手を打つにも打ちようがない。日常が送れなくなる。日常が送れないのをごまかして日常を送る。歪みを見ないようにする。
音楽は処方箋である。にわかのクラシック好きなので、死にたくなったらとりあえず駆け込むように音の波の中に埋もれる。非常にしばしば泣きながら私が音楽でなく人間であることに絶望する。だが音楽は死にたみを薄める効果はなく、時が過ぎるまでじっとしているしかないのだ。
近代フランス、ロシア、東欧あたりの作曲家が好きで、異常にロマンチックで傷つきやすい、感傷的なおセンチで愚かしい魂のあり方を反映されているようだ。もちろん、作曲家の方々は愚かしくはないのだが。
死にたい時に聞いているクラシック
ドビュッシー ロマンチックなワルツ
ノスタルジアそのものである。生き霊男のことを思いながら聞くと非常にしばしば泣けてくる。
ドビュッシー 海
北斎の神奈川沖浪裏を始め聞いた時想起した。彼も北斎にインスピレーションを得たと聞いて嬉しい。神奈川沖浪裏の小舟は、波を乗り越えそうなのだけれど、左右反転すると波に飲まれそうに見えるのだそうだ。中学校の美術教師が言ってた。完璧な音楽を聴くと、なんかもう絶望して死にたくなる。
なぜか月光はそこまで聴く気にならないが(なんか有名すぎて浸れない)、パスピエとか暗くて好き。プレリュードからずっと聞いているとメヌエットあたりで泣けてくる。
昔は月光と同じく有名すぎてフレーズがCMとか別の世界を喚起させてちゃんと聴く気にならなったが、清浄さに胸が震える。
ラフマニノフ ピアノ協奏曲 2番
ラフマのピアコンを弾くなんて夢のまた夢で死んでいくんだろうと思うと泣きたい。殊に1楽章は延々聴けてしまう。最初の概ね30秒ほどが私の今の心境である。朝目覚めて、死んでいないということ。人生が重くのしかかること。生き霊男のことを思いながら聴くと非常にしばしば泣けてくる。最後の終始に至る過程も非常に好き。
ラフマニノフ ヴォカリーズ
ノスタルジアそのものである。クラシック好きなのも、日本語の歌詞が入ると頭が余計な情報でパンクしてしまうからで、ヴォカリーズは歌詞がないから、安心して聞ける。でも、自分でその時その時に適当に歌詞を作ってしまって、頭を自滅させる。生き霊男をのことを思いながら聴くと非常にしばしば泣けてくる。
ペールギュントは結局ろくでなしの上に何にもできなかった人生を無為に過ごしたやつの典型みたいなもので、すごくシンパシーを感じる。そんな彼にもソルヴェイグがいたわけで、でも私には誰もいないやっていうところまで考えて惨めで泣けてくる。朝とか、アニトラの踊りとか、魔王の城とか、その辺も好き。
ラヴェル ダフニスとクロエ 2番
本当に美しい夜明けそのものの情景が浮かんで、光の中で死にたさが増す。
さらさらとしていて悲しい曲が好きです。惨めな気持ちをガンガン洗い流してくださる。太鼓の達人の中に入っていたけど、本当に秀逸なアレンジでラヴェルの生まれ変わりでしょうかってくらいすてきでした。
サティ ジムノペディ
本当に落ちた時はこういう静かな起伏に富まない曲が落ち着く。3番まで通して聴くと、なんかすごく心が安らぎます。似たようで、違うというヴァリエーションがいいのでしょうか。
サティ 官僚的なソナチネ
クレメンティのソナチネを皮肉っているという時点で勇気付けられる。ピアノのお稽古って嫌いだった。クレメンティまで行く前にやめたけど。なんかそういう昔の嫌な気持ちがうまく反転される気がする。
バッハ インベンション
2、4、7、13あたりが好き。バッハは親が好きなのでなかなか好きになれないが、そこを差し引いても落ち込んでいる時にはいいのではないかと思う。淡々としているから。
サロメの覚悟を思うと泣けてくる。リズムと官能的なオーケストレーションで現実逃避するための曲。私も、生き霊男の首が手に入るんだったらなんでもやるよって思う。生きてる生き霊男が好きだから、なんでもできないけど。
リムスキーコルサコフ シェヘラザード
シェヘラザードの語りで不眠の夜を明かしたい。私にはシェヘラザードはいないということを実感して泣けてくる。終章の最後のヴァイオリンの高音が胸に迫る。全ては物語であって、物語でしかないのだけれど、それが閉じられる時の虚しさを感じる。
最初の30秒で泣きたくなってくる。メインテーマは甘ったるくて、ロミオもジュリエットも自分にはいないということを思い出して泣けてくる。
二楽章で生き霊男のことを思うと泣けてくる。
ノスタルジアそのもので、泣けてくる。
自分の葬送のように日々を送ろうと思える。
1楽章の最初が好き。メロディアスで元気になります。
なんつーか、全体的に生き霊男のことを思い出して泣くための装置にしかなってなくて、これは音楽に対する侮辱なのではないか?執着されて生き霊男もかわいそう。一年くらいぶりに話した。たわいもない世間話をしただけで、胸が幸福感で震え上がり、後からこれは手に入らないものだと頭の理解が追いついて地に叩き落される繰り返しだ。愚かなる私に寄り添ってくれるのは優しい音楽たちだけになってしまった。そんな夜は不眠です。