喪女の結婚

あるいは幽霊を見ないこと

パイと経産婦

人を勝手にカテゴライズして敵認定したり、仲間認定して距離感を間違えるのが得意だ。だから経産婦を勝手に敵認定して妬ましく思っている。浅ましい自分だ。

生活感すら、彼女らの自信と誇りに思える。変わりばえのない日常を生きざるを得ないのに、とても生き生きして魅力的だ。何より、頑張って綺麗にならなくても、そのままの自分を愛してくれる家族がいるって(それがそもそも偏見に満ちているのだが)、なんかずるいよって思ってしまう。毎日人並み以下のところから、何とか社会が許容してくれる範囲まで身綺麗にしようとして頑張って、それすら上手くできなくてヘトヘトになっている時、振り乱した髪すら誇らしげな彼女らを見ると、不思議な恍惚感と、越えられない壁感と、嫉妬心に襲われる。ないものねだりだし、キラキラして見えていても、みんなそれなりにそれなりのものを抱えながら頑張ってるっていうのは分かっていても、どうしても自分が余裕がないと周りが妬ましく思えてしまう。小さい時はそういう幸せってきっと自分にも訪れるんだろうなって思っていたけど、だんだん自分はそっち側じゃないって分かってきて、プラス色々欲深くなって求めるものがどんどん大きくなっていっている。彼氏や旦那は、人生一発逆転の要素でも道具でもないのに、なんかそういう王子様が来て自分の人生をまるっと報われるものにしてくれるような妄想の中で生きている。そういう思考の堂々めぐりで、とうとう何者にもなれないまま、中途半端な自己啓発の課題すら終えられずにいる。

 

昨日はお昼にパイを食べてしまった。空焼きしたパイ生地は焼きが甘くてなんか油っぽい味だった。後悔した。夜には我慢できずに芋けんぴを食べてしまった。芋けんぴを食べた後胃に来て吐き気がした。とても後悔した。朝は昨日残したカツカレーを食べた。昨日はあれだけ食べたかったカツが食べなければならない宿題のような味がした。美味しかったけど。胃薬も一緒に飲んだ。本末転倒で、すごく情けなかった。今日はカフェオレにスパイスをかけたものを飲んだ。自分の許容範囲なので、今日はまだ自分が情けなくなっていない。これはオーケー、これはダメみたいなジャッジがきつくなりすぎると、それはそれで怖いんだけれど、そうなるのが怖くて、わざと自分が情けなくなるように物を食べている気がする。恐るべきは、ホメオスタシスなのだろう。情けない私に留まろうとする恒常性、その恐れを超えなければ次の道は開かれないのだよ。