喪女の結婚

あるいは幽霊を見ないこと

毒親うまれ喪女そだち

私が地球にいることが何だか大変よくないことだと分かるけれど、私が生きていることそれ自体が迷惑だって身にしみて感じるけれど、一方で、私は生物多様性を信じているので、クズの遺伝子もどこかで役立つ日が来るかもしれないなと思うからとりあえず生きてみる。それは例えば、じっとして動かないナマケモノとか、ゼリー状で気持ち悪いブロブフィッシュとかがその奇妙で奇怪(に人間にとって見えるだけかもしれないが)生態にもかかわらず今まで種を存続させている事象である。

悲しいことに、私はクソみたいな女だけど、それを育んだマザーも同じくらいクソみたいだ。でも、もっともっとクソみたいな親のいる家庭を目の当たりにしていると、恵まれているんだよな、と思う。この中途半端なクソさが嫌だ。嫌いになりきれないクソさだ。母親の社会的地位は低くないし、ネグレクトされたことも、怪我をするまで殴られたこともほとんどないし、生きるために必要なものを(物質的に)与えられなかったことはなんだかんだ(脅されは日常的にしていたけれど)なかった。だから親を批判するのも気がひけるけど、彼女は嫌いではないけれども、(嫌いになりきれない自分がいじましい)あまり一緒に居たくない人だ。

今になって思うけど、彼女は発達障害とかそういう類の何らかの病気なのではないかと思う。異様に心の視野が狭い。だからこそ、そういう大変な中でよく子供を育ててきたね、ってすごく優しい気持ちになることがある。多分、四輪用フルフェイスのヘルメットをかぶりながら四方八方敵だらけの世界をサバイブしないといけなかったんだろうなって思うと、すごく愛おしく思える。けれども、彼女は自分が頑張ってきたとかそういうこと自体思わないだろうな、と思う、それくらい視野が狭い世界で生きている。視野が狭いから、目の前に人がいると目障りなのだ。彼女のルーティンの世界に子供というイレギュラーを起こしうる存在がいるということが彼女にとってとっても苦痛だったと思う。今でも、彼女が出勤するまでの間に彼女の視界に入ると怒鳴られる。目障りだとか、私は仕事に行くのに目の前をうろちょろしやがってとか、そういう発想である。彼女の車が発車するエンジン音を聞いてからそっと自室を出る。家族の中で、私が母親と(珍しく)話すとうるさいとか、お前と話すと疲れるとか、出ていけとか、お前のせいで疲れるとか、お前が家を汚すとか(これは半分事実で、私は異様に片付けができないし、洗濯物をためる。洗濯物をためるのは母親に洗濯物を見られると怒られるからで、負のループなのだが)言われるが、私もあなたの声を聞くと気分が悪くなるし、香水の匂いで吐きそうになるからお互い様だよ。昔はそれでも、学校で必要な物を買うお金とか、出さないといけない書類とかがあると、話さないといけないから切り出すと、カネの要る時だけええ顔しやがってと言われるのが辛かった。今はそういう必要がないので、精神的にとっても楽だ。

ずっとお前がいなければと言われて育ってきた。私は母親の仕事の関係で父方の祖母に預けられて育ったので、嫁姑仲が最悪なこともあり、母親に言わせるとあのクソババアの根性が染み付いた失敗作だそうで、悲しい。祖母は気丈で、その気丈さが母とはまた別の意味で毒親っぽいところもあるからそういう意味で母の境遇に同情はするけれど、悲しいな。祖母はお前は医者になればいいといったし、多分母も私が医者とかそういう頭がいい職業に就けばよかったと思っているかもしれない(実際の私の頭の出来は置いておいて)(そして母の美点としては、一方で強烈に批判し怒号を浴びせるものの、一方で全く執着がないという矛盾した爽やかさだと思う。失敗作だと思っている傍、私が何でどうなろうがあまり批判しないのだ。単に気分屋ともいうが)。もっと母の望むような生き物になればよかったのになあと思う。本当に私は(母親が毒親だということを引き算しても。あるいは毒親だから私に性格的に遺伝したのか)わがままで、がさつで、愚かで、ズボラで、不潔で、非常識で、薄情なやつで、家にいるとみんなが迷惑する存在に育ってしまったけど、期待に応えられるような人間になっていたとしたら、それはそれで私が壊れてしまっていたんだろうと思う。母と同じように、フルヘルメットをかぶって、周りはみんなクソみたいな敵だとしか思えなくて、そんな中をモーレツに脇目も振らず走って行くことを自分に義務付けていたのだろう。よかったのかもしれないし、悪かったかもしれない。まあそれはトレードオフだ。

だから私は、いわゆるお嬢様育ちというか、きっちりした育ちのいい人に異様に嫌悪感を抱いてしまって(母もお育ちがいい)、無関係なそういう人に妙に批判的だったり攻撃的な態度を取ってしまったことも過去にあり、申しわけありませんでした、と今でも恥ずかしく思う。そういう人を見ていると、私もきちんと生きることが正しかったのだろうと言う思いと、きちんと母に従うことで、母にされてきたこととか言われてきたことすべてが正しくなってしまうことが怖かったのだ。母の言うことを否定するから私は私でいられたのであって、私は喋るゴミでもないし、失敗作でもない、私は私で母が間違っていると信じてきたのであって、本当は母の言うことが正しかったんだと思うと自分の心のオセロがひっくり返ってどうしようもなくなってしまうことが怖かった。それとこれとは別問題だって、分かるけどまだ感覚的に受け入れられない。

綺麗な部屋が怖いし、きっちりそろっているものが怖い。自分なりの方法で、片付けれるようになったけど。

自分にたくさんたくさん後悔するけれども、折に触れて母親が怒鳴って暴れて意味不明な言動を繰り返してやっぱりそう言う人だったと思い出すたびに、その中をサバイブしてきた私って、結構すごいじゃんか、って思える。喉元を過ぎて忘れてしまっていたけれども、今より無力で、経済力もなくて、離れられる場所も時間もなくて、ネットもなくて、そんな中で、うまくいかなかったかもしれないけれども、グジャグジャの道だけれども進んできたと言うことは、馬鹿みたいだけどちょっと誇りに思える。

最大の疑問は、そんなクソみたいな毒親なのに、なぜ家を出ないのかと言うことで、なんだかんだ利用している寄生虫なのだ。クズの寄生虫。なんで家を出ないの?って言われると、なんでだろうなーって思う。家を出るエネルギーすら奪われているのかもしれないけど、単純に私がクズの寄生虫だってことだよ。そうやって、いじめられて、かわいそうな私が大好きなのだ。かわいそうな私だから構って欲しいのだ。かわいそうな私をみんな様にかわいそうがって欲しいのだ。かわいそうな私に安住して、そこから出られないのだ。かわいそうな私だからいつかその分がひっくり返るくらいの愛がもらえると、怪我した診断書を高々と掲げ続けているのだ。おお恥ずかしい。ごめんね、って思う。もっと良い生き物だったらよかったかもしれないのにね、本当にごめんなさい、マザー。でもお互い様よ。