喪女の結婚

あるいは幽霊を見ないこと

目的の王国にて

今年はもう生き霊男に会えない

生き霊男が降ってくる三千大千世界の雪になって降ってくる

みたいなことを考えながら過ごしていると気が狂いそうになってくる

占い屋さんへ行こうかなと思って、そんな、占いとか信じて金を使うからダメなんじゃないんですかって思うけど、と言うのは、自分の選択や意思を自分でないものに委ねてしまうのって無責任ではないかと思う。自分じゃないものに決めてもらえないと決めてもらうことができないなんて。だからモジョなんだよって、モジョであることの理由をことあるごとに確認しようとする。大いなる自虐。意味はないよ。そんなことをしたって意味はないんだよ。

 

生き霊男は、生き霊男と私が一緒に仕事している時のパフォーマンスはいいけど、私が一人ですると途端にダメになるので、「頼ってるよね」って言われたことがあって、本当にその通りだと思ったけど、その後続けて「でも今は頼っていいよ」って言われて、それが本当に何だか泣けるほど嬉しかったことを思い出した。依存的なのはわかっているけれども、自分を丸投げにできるほど依存したいと言う欲望を生き霊男は満たしてくださるのではないか。それゆえに私は生き霊男を愛するのではないか。生き霊男は単なる手段なのではないか。私を受け入れて欲しいと言う手段なのではないか。他者を手段としてのみ使ってはならんと偉い人が言っていたけど、それってどうやって判別するの?