喪女の結婚

あるいは幽霊を見ないこと

子を成せと人は言うが

飲み会で、上司が、結婚が遅くて不妊治療しても子供できなくて諦めたから、

あなたは仕事に潰されずに、もし、子供を産みたいと思うのなら、そう言う気持ちが

あるのならそちらへ突き進みなさい。っていってて、それは確かに首肯せざるを得ないしそのとおおおおりって感じだし、仕事に対しての子どもだから本来の文脈とは違うんだけど、なんかもやもやした。

 

というのは、自分の中の感覚では、今までの自分は、後ろから銃を突きつけられていて歩く歩道をずっと歩かされていて、なんかそこからうまいことして抜け出したのが今で、でもどこへいったら良いのかわからなくて、で、歩くのも疲れて道ゆく人をぼんやり見ているような感覚。そしたらきちんと銃を突きつけられずに楽しく歩く歩道を歩いている人がいて、そういう人は結婚して子育てして幸せそうだ。

結婚子育てってまた銃と歩く歩道に戻ってしまう気がする。銃を突きつけているのは今度は自分自身だ。なんと言うか、正しい人生の道みたいな、あるべき姿というか、なんだこの意味がわからない例え。

 

親の気に入ることとか許可すること以外だめだったし、抜け出すと言うバイタリティもなくて(今もないけど)、けど今は当時より距離を置けるから、自分が本当はどんな人間で何を本当に求めているのか、自分自身に問いかけている最中で、でも他の人はとっくにそんな段階は終わっていて、次のステップへ進んでいて、自分ができて嬉しくなったこととかが、虚しくなってしまう。

私はまだ自分の問題すら解決できていない。それなのに、タイムリミットはどんどん迫っていっている。それがすごく悲しい。私は我慢して我慢してやっとここに立っているっていうのに、まだダメなの?まだ楽になれないの?って感じ。トラック走で自分だけ砂の入ったリュック背負っているけど、このままだと目標タイムに到達しなくて急げ急げとハッパをかけられている感じ。子どもをうんで、どうするって言うんだ。多分それは、すごく充実した人生になるかと思うけど、自分の問題が解決できていないから産んじゃダメって論理はないかと思うけど、でもそうすれば私の物語が終わってしまう。実家に頼れないし、モラハラ男だったらどうすれば良いの。戻る場所がないのに、どこへ出て行けっていうの。

 

もう私の物語を終えても良いってくらいの、伴侶がいれば良いんだけどな。あるいは、私の物語が私の物語のまま担保してくれるような。誰かの物語に入り込みたい。でもそれは精神的に不健全。誰かの物語になりたい。でもそれはご病気。わがまますぎだとわかっていはいるが、そういう訳で、すごく気持ちが不安定になってしまった。

神話の契約じみて、もしあなたが、あなたが私を裏切らずにいるのならば、あなたが二つ心なく私に魂を与えてくださる限り、私は私のなしうる限りあなたを愛し、あなたに身を捧げます。でも、物語の契約はいつも裏切られる。裏切らなければそれは神話じゃないからだ。そして私は神話にはなれないので、身を捧げる覚悟を保証できないであった。神話は破綻し、破綻した神話を夢想して、ひたすら泣いているのだ。