喪女の結婚

あるいは幽霊を見ないこと

喪女の自分改造計画

喪女だけど、自分改造計画(外見)をしようと思って、今日から始めます。

(何回もやって何回も挫折しているけれども)

生き霊男のことがまだ考えてしまうので、朝からずっとアルコールばかり取ってて、眠れなくて、これ以上はダメだ、と思って、自分で自分を傷つけて、誰かが救ってくれるのを待っているのはやめようと思って、とりあえず何かしていたら少しは精神が大丈夫でしょうと思って。

まず、「自分を変えたい」とか「美人になりたい」で検索すると出て来たまとめ記事のままに行動しようと思った。

痩せろ、外見、ファッションという文字。外見も、肌、髪、化粧に大別される。

それぞれの科目をこなせば私が変わる日も近い…と思ったが、

それ以前の整容が私はできていないので、そこから頑張りたい。

足の爪切りとか面倒くさくて伸びるまでほっておいてしまうのだ。

 

月に2回、自分を振り返る時間をとる。

手足の爪切り、ネイル、鼻毛カッターでの鼻毛切除、脇毛そり、外出用帽子の洗濯、ポーチの中身の補充を行う。

及び年に4回、服及び下着の新調を計画する。

 

痩身部門

脂質に偏りすぎた食事を改善する。

運動を行う。

 

外見部門

眉毛エステで正しい眉毛の形を理解する

肌を保湿する。

髪を染める。なんかつける。トリートメントする。

いずれはメイクを頑張る

 

よし、オラワクワクしてきたぞー

そのためにはまず汚部屋をどうにかせねばならなくてな…

 

劣等感との対峙

自分でないものになろうとすると苦しいんだなってわかっている。

喪女だけど、家事できるようになろうって思って今週、料理教室の体験講座に申し込んだ。

ほぼほぼ初対面のメンバーだったけど、若い女性がいて、白くて綺麗で可愛くて今時な感じで、でも話をちゃんとみんなにふったり名前を覚えていたりして、すごいなって思っていた。で、他の誰かが、若いでしょ?って白美女子に聞いたら、白美女子は26歳ですってなって、あ、私と1歳しか違わないのに、老けてるなって泣きそうになった。で、実は皮膚科医で、だから肌綺麗なんだねーってみんなが言うと、何にもしてないんですよ、って彼女は答えて、慢性肌荒れ(自分の生活習慣が悪いのはわかっているけど)の私はもうそこで劣等感に押しつぶされそうになった。本当に、百人が百人でもいい子だって思うだろうなって思うと、もし私の好きな人、例えば生き霊男とか他に好きになれた人がいたとしても、彼女のことを好きになっちゃうんだろうなって思うと、泣きたくなった。私は選ばれないって言う言葉が頭をぐるぐるしている。私は選ばれない。身の程をわきまえなさい。そもそも彼女と自分を比べるって、どんだけ自分を高く置いてんのや。彼女だって医者になるのにどんだけ頑張ったんかわかっているのか、彼女の苦労を知っているのか、比べるのは傲慢すぎるってわかっているけど、気持ちが止まらない、惨めさが止まらない。

お料理は美味しかったです。

 

 

彼ピッピ爆誕そしてむなしい

彼ピッピが爆誕してしまった。

優しい同僚氏。

ありがとうございますこんなこんな底辺の洞穴の底にいる私を見つけてくださってありがとうございますという感謝の気持ちでいっぱいだ

でもむなしい

中学生みたいなデートをして、どっと疲れて帰ってしまう

満たされているのかどうか分からないけどすごくむなしい

虚しさを楽しんでいる節すらある

生き霊男は悲しいくらいそっけなくて、それが一因であるのは分かっているけれども、ここに至ってまだ生き霊男かよ?もう大人になれよ、もう大人になれよ

という声が聞こえるけれども私は一人で生きていけないのに、生き霊男がいない世界で生きていくなら一人しか選択肢がないじゃないか。

愛想笑い、社交辞令、もういっそ近づかないでくださった方が良いのでは?

私はとてもむなしいんだよ

とてもむなしい

とてもむなしい

 

理想を書くだけならタダ

 

だから喪女なんだって、っていう声が自分の中から聞こえるけど

頑張って消す

 

セールで狙っていたスーツとかパンツとか

数日見ない間にことごとく売り切れていてすごく後悔している

縁がなかったんだって思って、切り替えたいけれども

決断力の無さにすごく引きずってしまう

だから喪女なんだ、だから喪女なんだ

そうじゃねーだろ

 

理想を書こうと思ったけど書く気力を失ってしまった

 

 

なんかもう生きるのどーでもいい(あるいは喪女の自己改革)

なんかもう生きるのどーでもいいみたいな気持ちになるじゃないか

なんかずっとテンション下がっていて、わーこれは通り雨みたいなもので

じっとしていれば過ぎ去るから落ち着いて待っていようとおもうけど

どうにもどうもそうもいかなくてこう言うことを繰り返している間に人生がものすごい

速さで過ぎ去って私が死んで行くのを感じる

結婚できるのかな

して幸せになるのかな

したいのかな

つれー

マジつれー

と思ったので、とりあえずカフェイン断ちをしようと思いました

ハーブティーを買ってこようね

 

目的の王国にて

今年はもう生き霊男に会えない

生き霊男が降ってくる三千大千世界の雪になって降ってくる

みたいなことを考えながら過ごしていると気が狂いそうになってくる

占い屋さんへ行こうかなと思って、そんな、占いとか信じて金を使うからダメなんじゃないんですかって思うけど、と言うのは、自分の選択や意思を自分でないものに委ねてしまうのって無責任ではないかと思う。自分じゃないものに決めてもらえないと決めてもらうことができないなんて。だからモジョなんだよって、モジョであることの理由をことあるごとに確認しようとする。大いなる自虐。意味はないよ。そんなことをしたって意味はないんだよ。

 

生き霊男は、生き霊男と私が一緒に仕事している時のパフォーマンスはいいけど、私が一人ですると途端にダメになるので、「頼ってるよね」って言われたことがあって、本当にその通りだと思ったけど、その後続けて「でも今は頼っていいよ」って言われて、それが本当に何だか泣けるほど嬉しかったことを思い出した。依存的なのはわかっているけれども、自分を丸投げにできるほど依存したいと言う欲望を生き霊男は満たしてくださるのではないか。それゆえに私は生き霊男を愛するのではないか。生き霊男は単なる手段なのではないか。私を受け入れて欲しいと言う手段なのではないか。他者を手段としてのみ使ってはならんと偉い人が言っていたけど、それってどうやって判別するの?

 

 

自慰と物語と自慰

 恋人であるということは、一つの物語の共有であるということを小耳に挟み、

なるほどと思った。

私はあなたに会うために生まれてきた、という物語を互いに共有できることであるとのことで、あ、生き霊男に対しては完全に一方的な物語の押し付けだなあと思わざるを得ない。

完全に私の自慰である。それ故にみじめなのだ。

月の半分くらい、容赦ない死にたみに襲われている。

優しい同僚氏に全てを委ねてしまいたい欲求と、そうするともう生き霊男の顕現を味わうことはできなくなってしまうので、とても辛い。

所詮、誰にも認められない物語なのだった。

それでも書き続ける覚悟が、あるのだろうか。